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ヴィエリチカ岩塩坑 岩塩製の「最後の晩餐」ヴィエリチカ岩塩坑は、ポーランド共和国マウォポルスカ県にある岩塩の採掘坑。クラクフ首都圏内の都市ヴィエリチカにある13世紀以来稼働している採掘坑で、いまなお食塩の生産を行っている。1044年の創業(ポーランド王国のクラクフへの遷都は1038年)。廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古で、同時に世界最古の製塩企業でもある。深さは地下327m、全長は300km以上に及ぶ(廃坑になっているものも含めると世界最古の岩塩坑は同じくポーランド共和国マウォポルスカ県にあるボフニャ岩塩坑)。特筆すべきは、観光客向けの3.5kmの坑道で、歴史上や神話上の様々なモチーフを象った彫像が並んでいる。その全ては、坑夫たちが岩塩を彫り上げたものである。さらには屈曲した部屋や礼拝堂が岩塩で形成され、岩塩採掘史の展示までがなされている。さながらそこは岩塩製の地下大聖堂のごとき景観を呈しているのである。 この岩塩坑には年間110万人もの観光客が訪れる。長い歴史においてこの岩塩坑を訪れた有名人には、ニコラウス・コペルニクス、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ドミトリ・メンデレーエフ、イグナツィ・パデレフスキ、ロバート・ベーデン=パウエル、カロル・ボイティワ(後のヨハネ・パウロ2世)、ビル・クリントンなどがいる。第二次世界大戦中には、この岩塩坑は占領したドイツ軍が軍需物資の製造拠点として使用した...続きを見る
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アメリカ合衆国議会図書館収蔵のグーテンベルク聖書世界の記憶または世界記録遺産(せかいのきおく、せかいきろくいさん、Memory of the World)とはユネスコが主催する三大遺産事業のひとつ。 危機に瀕した歴史的記録遺産を最新のデジタル技術を駆使して保全し、研究者や一般人に広く公開することを目的とした事業。人類が長い間記憶して後世に伝える価値があるとされる楽譜、書物などの記録物(動産)をユネスコ世界記録遺産国際諮問委員会にて定められ、1997年から2年ごとに登録事業を行っている。三大遺産事業は他に不動産遺産である世界遺産(World Heritage)、無形文化遺産である人類口伝及び無形遺産傑作(Masterpiece of the Oral and Intangible of Humanity)がある。世界の記憶は2006年9月現在、57ヶ国120点が登録されている。 歴史的文書などの記録遺産は人類の文化を受け継ぐ重要な文化遺産であるにもかかわらず、毀損されたり、永遠に消滅する危機に瀕している場合が多い。このため、ユネスコは1995年、記録遺産の保存と利用のために記録遺産のリストを作成して効果的な保存手段を用意するために「世界の記憶(Memory of the World)」事業を開始し、記録遺産保護の音頭を取っている。事業の主要目的は、世界的な重要性を持つ記録遺産の最も適切な保存手段を講じることによって重要な記録遺産の保存を奨励し、デジタル化を通じて全世界の多様な人々の接近を容易にし、平等な利用を奨励して全世界に広く普及することによって世界的観点で重要な記録遺産を持つすべての国家の認識を高めることである...続きを見る
九寨溝(きゅうさいこう)九寨溝は石灰岩質の岷山山脈(びんざんさんみゃく)中、標高3400mから2000mに大小100以上の沼が連なるカルスト地形の淡水の湖水地帯である。谷はY字状に分岐しており、岷山山脈から流れ出た水が滝を作り棚田状に湖沼が連なる。水は透明度が高く山脈から流れ込んできた石灰石成分が沼底に沈殿し日中には青、夕方にはオレンジなど独特の色を放つ。また、流れに乗って運ばれてきた腐葉土に植物が生え独特の景観を見せる。ジャイアントパンダの生息地のひとつとしても有名である。 この独特の景観は水に含まれる大量の石灰岩成分によるところが大きい。棚田状の湖群の自然堤防は石灰成分の付着によって形成されたものであり、水流の中に生育する森林と言う独特の景観も石灰成分の凝固した岩に起因している。また透明度の高い湖の底に沈んだ倒木もその表面に石灰成分が付着し、いつまでもその形を留めていることも独特の景観に一役買っている。なお九寨溝に似た景観は、同じカルスト地形であるクロアチアの世界遺産・プリトヴィツェ湖群国立公園にも見られる。 チベット人など少数民族の居住地としても知られ、「九寨溝」の名もチベット人の村(山寨)が9つある谷であることから付けられたものである。観光道路沿いにも3つの集落があり、そのうちの1つである樹正寨は観光地となっている。また、域内にはチベット人による宗教施設(寺院・塔・マニ車(正しくはボン教のため「マシモ車」)等)が点在している。なおこの地域はチベット仏教よりもボン教が盛んで、コルラの方向やマシモ車を回す方向がチベット仏教とは反対の反時計回りである。九寨溝内にある寺院「扎如寺」もボン教寺院でありその他の宗教施設もすべてボン教のものである。祈祷旗であるタルチョーも各所で見られるがボン教のタルチョーである。しかし日本のマスコミやガイドブックなどでは「チベット仏教」と紹介されていることが多い。 1970年代に森林伐採の労働者によって(元々居住していたチベット人以外に)偶然に発見された...続きを見る
第二次世界大戦中に紅海で沈没したイギリスの軍用貨物船ティスルゴーム水中文化遺産保護条約(すいちゅうぶんかいさんほごじょうやく、Convention on the Protection of the Underwater Cultural Heritage)は、2001年の国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)総会で採択された、沈没船や海底遺跡などの水中文化遺産の保護を目的とした条約である。批准国の数が所定の数に達し、2009年1月より発効された。世界の海には300万隻の沈没船が沈んでいるといわれる。1960年代以降、トレジャーハンターが海洋サルベージを行って沈没船や海底遺跡などの水中文化遺産を引き上げ、私的に売買する活動が活発になった。トレジャーハンターは科学的調査は行わずに水中文化遺産を破壊して金銭的価値のあるものだけを収集していたため、こうした行為に対する国際的な非難が高まったが、これを規制する国際法は長らく存在しなかった。 1982年に国連海洋法条約が採択され、1994年に発効し、水中文化遺産についても領海内での無断調査の禁止、領海外でも当該文化遺産の起源を有する国への配慮が盛り込まれた。しかし、規制が不十分であったためトレジャーハンターの活動は続けられた。日本でも水中文化遺産については文化財保護法の埋蔵文化財に関する規定などが適用されるが、現行法は領海内でしか適用されず、排他的経済水域や大陸棚における水中文化遺産の保護については特別の定めは存在しない。 こうした問題に対処するため、2001年の第31回ユネスコ総会で水中文化遺産保護条約が採択された。この条約では、少なくとも100年間、水中にある文化遺産を水中文化遺産と定義して保護の対象とし、水中文化遺産の商業目的による利用の禁止、保護に関しては現状での保全を優先とすること、専門家による調査の徹底などを定めている。また、領海、排他的経済水域、深海底などの区域ごとに保護措置を規定している。 水中文化遺産保護条約の発効には20か国以上の批准が条件となっており、 2008年10月現在の段階で批准国数が規定に達し、2009年1月より発効されることが決定された。しかし、アメリカ合衆国イギリス、日本などの主要国は批准には至っていない。この理由として、条約が排他的経済水域の管轄権に関して沿岸国に与えている権限が強すぎる点などがあげられている...続きを見る
ケルン大聖堂世界遺産の登録は、景観や環境の保全が義務付けられるため、周辺の開発との間で摩擦が生じることがある。第28回から第30回まで3年にわたって、大きな論点になったケルン大聖堂などはその好例である。この件では、近隣での高層ビル建設による景観の破壊が問題となった。 現在でも、“北のベネチア”とも称されるサンクトペテルブルクの歴史的町並みが、同市内にガスプロム社が計画している超高層ビル「オフタ・センター(高さ396m)」の建設を巡って、経済開発を優先する市側と、世界遺産登録抹消を危惧するロシア文化省との間で軋轢が生じる事態になっている。 また、ドレスデン・エルベ渓谷のように、橋梁の建設による景観の破壊を理由として世界遺産リストからの抹消が実際に決議された例もある...続きを見る
原爆ドーム戦争や人種差別など人類の犯した罪を証明するような物件も世界遺産に登録されている。明確な定義付けがされているわけではないが、これらは別名負の世界遺産(負の遺産)と呼ばれている。負の遺産としてしばしば挙げられるのは、原爆ドーム、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所、奴隷貿易の拠点であったゴレ島、マンデラ大統領が幽閉された島ロベン島などである。また、ターリバーン政権によって破壊されたバーミヤン遺跡も負の遺産と見なされることがある...続きを見る
ベリーズ珊瑚礁保護区1960年代、エジプトのナイル川流域にアスワン・ハイ・ダムを建設する計画が持ち上がった。このダムが完成した場合、ヌビア遺跡が水没することが懸念された。これを受けて、ユネスコが、ヌビア水没遺跡救済キャンペーンを開始。世界の60ヶ国の援助により、技術支援、考古学調査支援などが行われた。ヌビア遺跡内のアブ・シンベル神殿の移築が行われ、これがきっかけとなり、開発から歴史的価値のある遺跡、建築物、自然等を国際的な組織運営で守ろうという機運がうまれた。 1972年11月16日、ユネスコのパリ本部で開催された第17回ユネスコ総会で、世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約(世界遺産条約)が満場一致で成立。1973年、アメリカ合衆国が第1番目に批准、締結。20ヶ国が条約締結した1975年に正式に発効した。 1978年に、アメリカのイエローストーンや、エクアドルのガラパゴス諸島など12件(自然遺産4、文化遺産8)が第1号の世界遺産リスト登録を果たす。 日本は、先進国では最後の1992年に世界遺産条約を批准し、同年の9月に125番目の加盟国となった。2009年現在の条約締約国は186か国である。
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劇場のスクリーンで観る映画も迫力があって好きですが、自宅のテレビでくつろいで観る映画も大好きです。そんなくつろいだ時間に観られる映画を紹介出来たらいいと思います。
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