大地の詩 -留岡幸助物語-
岡山県高梁に生まれてすぐに商家の養子になった幸助は、ある日、金持ちの武士の子に一方的に殴られ、耐えきれずに相手に噛みつき打ち負かす。そのことで米屋を営む実家は得意先を失い、幸助は父から折檻を受け、学校を退学させられたあげく商人に...
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留岡幸助(とめおかこうすけ) (1864~1934)
明治・大正・昭和初期の社会事業家。 岡山県高梁市出身。同志社大学卒業。京都丹波第一教会の牧師を経験後、北海道空知集治監の教誨師に就任。囚人達との面談・調査、および欧米の動向研究により、監獄改良よりも根本的な対策と感じ取った少年感化事業に関心を持ち、明治32年に東京巣鴨に「家庭学校」を創立し、少年の感化事業に尽力した。また、大正3年には自己の社会事業の集大成として、感化部と理想農村から成る「北海道家庭学校」を設立した。
解説
明治時代、不良と呼ばれる青少年を救うために感化院を作り、「一人でも更生させることは国家の益になる」と、また家庭の温かさを知らない故に悪くなった子供達が、これ以上悪に染まらないようにと、「家庭学校」を作った『留岡幸助』の映画を製作致しました。 今、何故『留岡幸助』?と聞かれたら、あまりにも子供達、親達、そして学校との関係に何か欠け落ちているものがあるのではと思えるからです。現代は昔に比べて一般的に生活水準も向上し、一応家庭的には恵まれているのではないでしょうか? しかし貧しくてもその生活に満足し、喜びも悲しみも分かち合い、親子がもっと真剣にぶつかって、家族が寄り添いあいながら暮らしていた姿は減りました。支出が大変多く、親達は普通に暮らすだけでも共稼ぎをしなければならない。そんな中で、働きながら母をする事は大変だと思います。 子供を立派に育てるのには母の愛が必要と、留岡イズムにスポットをあてて、お母さんと子供の教育のお役に立てればとこの映画を作りました
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ストーリー
岡山県高梁市に生まれ、幼くして商家の養子になった幸助は、ある日、金持ちの武士の子に一方的に殴られ、耐えきれずに相手に噛みつき打ち負かす。そのことで米屋を営む実家は得意先を失い、幸助は父から折檻を受け、学校を退学させられたあげく商人になることを強いられる。幸助は幼くして不平等な身分社会に憤りを感じる。 青年になると、幸助はキリスト教へ入信。同志社英学校( 神学科) へ月謝免除で入学。 その頃、「遊郭」と「監獄」という人間社会の二つの暗黒面の存在を知り、監獄改良を訴え続けたジョンハワード伝を読んだことに強い影響を受ける。そして24 才で卒業後、丹波教会の牧師となる。 多くの人に信頼される牧師として活躍した幸助だったが、明治24 年、金森通倫牧師の勧めで、妻子を連れて北海道・空知にある監獄の教誨師に就任する。 その頃、空知集治監では、重罪犯2,000 人を収容し、中には、終身刑を3 つも4 つも持っている囚人もいた。強制労働など過酷な刑罰を受ける囚人達。幸助は、なんとか囚徒を更生させ、監獄を改革しようと、3 年に渡って囚徒の過去を調査する。そして、犯罪の芽は幼少期に発することを知り、幼い頃の家庭教育の大切さに気づく。また、幼き日の友人が、犯罪者になっていたことも少年感化に従事する遠因となる。 幸助は教誨師を辞めると、米国に渡り2 年をかけて欧米の監獄事情を学ぶ。そして帰国後、少年感化を実現すべく、北巣鴨の一角に『家庭学校』を作り、広く感化を要する子弟を教育、少年感化事業の先駆者となる。 後に巣鴨の地が都会的になると、ルソーの著書「エミール」に書かれた『子供を育てるには大自然の中が一番』という説に感銘を受け、北海道・遠軽の地に家庭学校を作る。 その教育は、21 世紀となった今もなお受け継がれ、その土地は留岡という地名になって現在に至っている
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【公開日】 2011年4月9日
【製作年】 2010年
【製作国】 日本
【上映時間】 116分
【配給】 現代ぷろだくしょん
【監督・製作総指揮・脚本】 山田火砂子
【脚本】 長坂秀佳 / 池田太郎
【プロデューサー】 井上真紀子 / 国枝秀美 / 藪原信子 / 萩原浩司
【音楽】 石川鷹彦
【撮影監督】 長田勇市
【出演】 村上弘明 工藤夕貴 中条きよし 市川笑也 隆大介 笛木優子 さとう宗幸 石倉三郎
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