プルーフ・オブ・マイ・ライフ
監督:
ジョン・マッデン
出演:
グウィネス・パルトロウ/
アンソニー・ホプキンス/
ジェイク・ギレンホール/
ホープ・デイヴィス
内容:天才数学者の父が死に、彼を5年間看病し続けたキャサリンは、生きる気力を失っていた。葬儀のためにニューヨークから姉のクレアがやってくるが、折り合いの悪い関係に、キャサリンは苛立つばかり。そんなキャサリンを優しく包み込んだのは、父の教え子で、キャサリンに思いを寄せているハルだった。ふたりが恋に落ちた日の翌朝、キャサリンは、ハルにデスクの鍵を差し出す。そこから出てきたのは、世紀の発見となる数式の証明だった。
予告編
チケットぴあ
解説
天才数学者だった亡き父が残した世紀の証明をめぐり、傷ついたひとりの女性の再生を描くヒューマン・ドラマ。デイヴィッド・オーバーンの
ピューリッツアー賞舞台劇の映画化。出演は「
スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー」の
グウィネス・パルトロウ、「
アレキサンダー」の
アンソニー・ホプキンス、「
デイ・アフター・トゥモロー」の
ジェイク・ギレンホール。監督は「
コレリ大尉のマンドリン」の
ジョン・マッデン...続きを読む
ストーリー
27歳の誕生日を迎えた美貌の天才数学者、キャサリン(グウィネス・パルトロウ)は生きる気力を失っていた。シカゴ大学で教鞭を取り、天才数学者と讃えられた父ロバート(アンソニー・ホプキンス)が一週間前に亡くなったのだ。精神のバランスを崩した父を一人で看病していたキャサリンにとって、父は師であり、人生の羅針盤であった。そんなキャサリンのもとに、父の教え子だったハル(ジェイク・ギレンホール)がやって来る。彼はキャサリンにほのかな想いを寄せていた。やがて父の葬儀に出席するために、キャサリンの姉クレア(ホープ・デイヴィス)がニューヨークからやって来る。通貨アナリストと... 27歳の誕生日を迎えた美貌の天才数学者、キャサリン(グウィネス・パルトロウ)は生きる気力を失っていた。シカゴ大学で教鞭を取り、天才数学者と讃えられた父ロバート(アンソニー・ホプキンス)が一週間前に亡くなったのだ。精神のバランスを崩した父を一人で看病していたキャサリンにとって、父は師であり、人生の羅針盤であった。そんなキャサリンのもとに、父の教え子だったハル(ジェイク・ギレンホール)がやって来る。彼はキャサリンにほのかな想いを寄せていた。やがて父の葬儀に出席するために、キャサリンの姉クレア(ホープ・デイヴィス)がニューヨークからやって来る。通貨アナリストとして第一線で働くクレアは、父と妹の絆を自分には関係ないものとして避けていた。葬儀が終わったあと、周囲の無神経な態度にますます傷ついていくキャサリン。そんな彼女を、ハルだけが優しく見守ってくれた。その夜、二人は恋に落ちる。翌朝、久しぶりに喜びの気分に満たされたキャサリンは、ハルに一本の鍵を差し出す。それはロバートの書斎のデスクの鍵だった。そしてハルは、デスクから一冊のノートを見つける。そこには、どんな数学者も成し遂げられなかった定理の証明が記されていた。興奮するハル。だがキャサリンは、その論証を書いたのは父ではなく自分だと主張するのだった
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ワーナー・マイカル・シネマズ劇場案内
【監督】
ジョン・マッデン
【原作】デイヴィット・オーバーン
【脚本】デイヴィット・オーバーン
【共同脚本】レベッカ・ミラー
【製作】ジョン・ハート/ジェフ・シャープ/アリソン・オーウェン/ロバート・ケッセル
【共同製作】マーク・クーパー
【撮影】アルウィン・カックラー
【編集】ミック・オーズリー
【美術】アリス・ノーミントン
【音楽】ステファン・ワーベック
【衣裳】ジル・テイラー
【公式サイト】
プルーフ・オブ・マイ・ライフ
【出演】
グウィネス・パルトロウ/
アンソニー・ホプキンス/
ジェイク・ギレンホール/
ホープ・デイヴィス/ゲイリー・ハウストン
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恋におちたシェイクスピア
方程式の証明。そして自分自身が正常かどうかの証明。
天才数学者の父を持ち、その才能を受け継いでいながら
父が持つ精神疾患も受け継いでいることに思い悩む主人公。
すごく良かった。少なくとも今の自分にとっては。
テーマがどうであれ、主人公の最後の台詞にあるように、
「振り出しに戻って一つずつ一つずつやっていこう。きっと良くなるはず」
ここにこの映画の全てがあるように思う。
僕はこの作品を観て、とても勇気づけられた。
自分のことを「狂っているんじゃないか?」と少しでも疑っている人がいたら、
是非観てほしい。助けられます。
天才数学者の父親
世紀の数学証明の謎を解く
あらゆることを美しき素数で表現しようとするところ、ちょっと外国版「博士の愛した数式」?それにしても、クライマックスのかつての天才数学者の最後の数学的証明を娘のキャサリンが声に出して読むくだりは感動的です…胸つまりました。
認知症にもいろいろあって一概にはいえないとも思うのですが、自分の父のときと思いがかさなります。父の場合も、論理的に考えるシステム、それを筋立てて人に解説する能力は、まったく衰えず(つまりハード部分はまったく正常運転)で、ソフトが完全にぶっ壊れていました。ものすごく論理的にクレイジーな発言をするので、耳を傾けないわけにもいかず、それは「話」としてはすごくつじつまがあっているので、うなずけるわけですが、話はすべて作り話でした。ほんとうに、その時切なく感じましたし、この映画の中のお葬式の場面で娘が言う「父は死んで幸せでした」というのがあながち暴言とも思えないのでした。私は遠くであれこれ言うだけなので、近くで最後までマンツーマンで介護していた母は特にそういう気持ちではなかったか?と思います。なくなったときに「かつての父」の友人たち・教え子たちは、惜しんでくれる。しかし、消された期間の父も誰かと必死で生きていたのだ!と証明したいような気になるものではないかと今となっては思います。