愛しきソナ
監督・脚本・撮影:ヤン・ヨンヒ
内容:ヤン・ヨンヒ監督の両親は大阪で、3人の兄はピョンヤンで暮らしている。次兄とその再婚相手との間に生まれた娘ソナを、ヤン監督はとても可愛がっている。 98年、前年に亡くなったソナの母親の一周忌のため、監督はピョンヤンを訪れる。その時ソナは、クラスの友達や好きな男の子の事を話してくれた。2001 年の訪朝時、30年ぶりに家族そろってのパーティー。兄と手をつないで歩くソナの姿に、幼い頃の自分を重ねた...
予告編
解説
大阪で生まれ育った在日二世の映像作家ヤン・ヨンヒが、朝鮮総連の元幹部で最も理解しがたい最愛の父への複雑な想いを、自身の家族の10年間の中に描いた前作『ディア・ピョンヤン』は、ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞をはじめ、サンダンス映画祭審査員特別賞、山形ドキュメンタリー映画祭特別賞など数多くの賞を受賞し、世界中を笑顔と涙で包みこんだ。あれから5年、遂にヤン監督の新作が完成した。今回の作品は帰国事業によって70年代に北朝鮮に移り住んだヤン監督の3人の兄とその子どもたち、特に姪のソナにフォーカスを合わせ、近くて遠い二つの国をつなぐ強い絆と深い愛をめぐる、可笑しくも切ない家族の物語を描き切った。前作の痛快なインパクトとはひと味違う、心に染み入るような繊細な優しさが伝わる感動作だ。ヤン監督は17歳の修学旅行で訪朝して以来、幾度となくピョンヤンを訪れている。生まれた頃から交流を続けてきたソナの屈託のない笑顔と成長を温かいまなざしで見つめながら、70年代に“地上の楽園”とされた祖国に父によって送り出された兄たちがたどった運命とその胸に秘めた想い、そして自分の息子を送り出しながらその後の思いもよらない状況に悔恨の念をにじませる父の心情と、その病床の姿を厳しい視線で映し出す。選択の機会が与えられない社会で生まれ育ったソナと、生まれた時から自由を謳歌しながら育ってきた自分を重ね合わせ、ふたつの国に暮らす自分の家族の生きざまを描きながら、そこには思想や価値観の違いを超えた、誰もが心の内に持っている家族への切ない想いが浮かび上がってくる。北朝鮮のイメージと言えば、声高に原稿を読み上げるニュース番組や一糸乱れぬパレードとマスゲーム、または潜入取材によって隠し撮られた極貧生活や脱北者の映像だろうか。日本で紹介されるのはセンセーショナルな映像ばかりで、庶民の日常生活はマスコミにとって面白味がないのかほとんどテレビで見ることはない。本作では一般庶民のホームパーティーや墓参り、結婚式の様子や、ボーリング場で遊ぶ姿、子供の登校風景など、北朝鮮で暮らす人々の日常のひとコマが数多く切り取られている。そして電気や水道、ガスの使用が制限されるなど、日本とは生活水準が大きく違うが、そこに暮らす人々の心の中はわれわれとあまり変わりはないという事が画面から伝わってくる。特に母を思いやる気持ちを歌った北朝鮮の曲を弾き語る姿には、誰もが心を揺さぶられるだろう。
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ストーリー
大阪生まれの在日二世映像作家ヤン・ヨンヒの3人の兄は、1970年代に行われた帰国事業で北朝鮮に移住する。父によって当時“地上の楽園”とされた北朝鮮に送り出された兄たちが辿った運命とその胸に秘めた想い。自分の息子を送り出しながら、その後の思いもよらない状況に悔恨の念をにじませる父の心情とその病床の姿。そして北朝鮮に暮らす姪ソナの屈託のない笑顔と成長を温かい眼差しで見つめつつ、親子それぞれの姿を時に厳しい視線で捉える。選択の機会のない社会で育ったソナと、自由を謳歌しながら育った自分自身。二つの国に分かれた家族の生活を対比する一方で、思想や価値観の違いを超えた... 大阪生まれの在日二世映像作家ヤン・ヨンヒの3人の兄は、1970年代に行われた帰国事業で北朝鮮に移住する。父によって当時“地上の楽園”とされた北朝鮮に送り出された兄たちが辿った運命とその胸に秘めた想い。自分の息子を送り出しながら、その後の思いもよらない状況に悔恨の念をにじませる父の心情とその病床の姿。そして北朝鮮に暮らす姪ソナの屈託のない笑顔と成長を温かい眼差しで見つめつつ、親子それぞれの姿を時に厳しい視線で捉える。選択の機会のない社会で育ったソナと、自由を謳歌しながら育った自分自身。二つの国に分かれた家族の生活を対比する一方で、思想や価値観の違いを超えた家族への切ない想いが浮かび上がる。また、北朝鮮と聞いて日本人が思い浮かべるのは、声高にニュースを読み上げるアナウンサーや、一糸乱れぬパレードとマスゲーム、もしくは隠し撮りされた極貧生活や脱北者の姿だろう。こうした扇情的なイメージばかりが先行し、庶民の日常生活が紹介される機会はほとんどない。本作ではホームパーティーや墓参り、結婚式、ボーリング場の賑わい、子供の登校風景など、庶民の日常を数多く収められ、そこで暮らす人々は我々とさほど変わらないことがわかる。中でも、母への思いを歌った北朝鮮の音楽を弾き語る姿には心動かされるだろう
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レビュー
北朝鮮は、「近くて遠い国」とか、「恐い国」と言われるが、そうではなくて、いまだに「知られざる国」である。 もちろん、“鎖国”状態にあるために、さまざまな情報がオープンにされていないこともあるが、日本を含めた世界の視線が主に金正日等の一挙手一投足に注がれ、その中で国民が暮らしているという当たり前のことが忘れられがちになっていることにも原因がある。 言うまでもなく、彼の国には支配者たちだけが生活しているのではない。そのことを改めて鮮烈に知らせたのが梁英姫の前作「ディア・ピョンヤン」だった。それを世に問うたことによって梁は北朝鮮への再入国を拒否されることになったが、人びとの日常を描かれたことが彼らにとっては恐怖だった。 ハレとケとに分ければ、ハレを批判されるのではなく、ただ、ケをありのままに写されたことがショックだったのである。 梁が六歳の時、三人の兄が北朝鮮に渡った。日本では将来に希望を托せなかったからだが、しかし、理想郷といわれた彼の国の実体は、まるでそれとは違ったものだった。 その二番目の兄の娘、ソナに梁は自らの姿を重ね合わせる。愛くるしい彼女は、五歳で実母に病死されたからである。 生きているけれども容易には兄たちと会えなくなった梁の喪失感と、母を亡くしたソナの喪失感。それを梁は、むしろ、淡々と描く。それによって、より深く、より強く、見る者に喪失感が伝わってくる。 外貨レストランでアイスクリームを食べながら、叔母である梁の質問に答えるソナ。そして、自分の身体より重いボールをボーリング場で転がそうとするソナ。それらはまだ幼い子どもであるが故に、一つひとつのしぐさが笑いを誘うのだが、学校に入って校門から遠ざかっていく姿には、この国で生きていくソナの意識せざる決意がうかがわれる。 私たちは、たとえば北朝鮮にボーリング場があることにすら驚く。ニュースになるのは脱北とかの非日常だが、多くの国民には、しょっちゅう停電に見舞われる日常があるのである。 恐怖を抱く前に、まず、北朝鮮の実情を知ることだろう。そのことを梁は強く望み、それを願って、このドキュメンタリーを製作したのだということがよくわかる。 北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ」と短絡的な問いかけをする人がいるが、基本的に戦争は石油がなければできない。エネルギー源としての石油を中国に頼っている北朝鮮は、だから、中国の了解なくして戦争はできないのだが、石油がないのに戦争をした国が約一国ある。日本である。「石油の一滴は血の一滴」とか言って狂気の戦争をした日本は、それ故に、冷静に北朝鮮を見ることができない。あらゆる意味で日本人は彼の国を偏見なく見ることができないのだが、梁はそうした固定観念へのチャレンジという意思を底に秘めて、決して重苦しくではなく、北朝鮮に生きる人びとの生活を描いている。選択肢のない日常で人はどう生きるか?フットワーク軽く描かれているこのドキュメンタリーによって、私たちはそもそも選択とは何かという問いの前にも立たされる。そうした意味で、北朝鮮の日常生活を描いたこのドキュメンタリーは、北朝鮮以外の人々の日常をも考えさせるドキュメンタリーとなっているのである。(作品資料)
【監督】ヤン・ヨンヒ
【エグゼクティブプロデューサー】チェ・ヒョンムク
【脚本】ヤン・ヨンヒ
【撮影】ヤン・ヨンヒ
【音楽】Marco
【編集】ジャン・ジン
【公式サイト】
愛しきソナ
【公式ブログ】
映画『愛しきソナ』PR